『学校って何だろう』には、学校で生活していて疑問に思うことに対する筆者である苅谷剛彦氏の考えや常識を疑う材料がかかれています。
たとえば、こういった疑問。
- 学校の規則・校則はどうして細かいところまで禁止するんだ?
- 毎日決まった時間に学校に行かなくちゃいけないのはなぜなんだ?
- どうして将来役に立ちそうじゃないことまで勉強しなきゃいけないのか?
こういった疑問を一度はもったことがあるのではないでしょうか?
ぼくはあります。
化学記号を覚えたとしてどう仕事に役立つの?
世界の気候区分を知って何になるの?
といった感じです。笑
この『学校って何だろう』には、これらの疑問に対する“正解”は書かれていません。
というより、世の中に“正解”はないんじゃないでしょうか?
学校でのテストに慣れたあなたは、いつもどこかに正しい答えが書いてあるはずだと思うかもしれません。
ところが、私たちが本当に解決しなければならない問題のほとんどは、中学校の数学のテストの答えとは違って、いつでもどこかにたった一つの正しい答えがあるというわけではないのです。
それどころか、「だれかがすでにどこかに正解を書いている。だからそれを探せばいいんだ」というのでは、自分の問題を自分で解決したことにはならないでしょう。
自分の頭で考えてこそ、自分なりの答えにたどり着ける-それが、この本の出発点になります。
(引用元:苅谷剛彦『学校って何だろう』P.3)
苅谷氏も言っていることが、“自分なりの答え”をみつけることが重要だとぼくも考えています。
学校のなかにある常識を疑い、一度ふみとどまって考えてみてください。
考えるための材料を一部『学校って何だろう』から紹介していきます。
苅谷剛彦『学校って何だろう ー教育の社会学入門』(ちくま文庫)
なぜ勉強しなければいけないの? 校則って必要? こうした疑問には大人になった今でも答えづらい。これまでの常識を複眼的に問いなおし、学ぶ意味を再び掴むための基本図書。解説:小山内美江子 2005年12月刊#ちくま1000「本」ノック143 pic.twitter.com/gAwXcqQ5bY— 筑摩書房 (@chikumashobo) May 6, 2018
ツイートの「いいね+RT」数が149(2018/10/1 5:00付)と人気なんですね。
第❶章:どうして勉強するの?
第❷章:試験の秘密
第❸章:校則はなぜあるの?
第❹章:教科書って何だろう
第❺章:隠れたカリキュラム
第❻章:先生の世界
第❼章:生徒の世界
第❽章:学校と社会のつながり
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この記事の内容
どうして勉強するのか
もしあなたが高校生なら大人に「どうして勉強しなきゃいけないの?」と聞いたことが一度はあると思います。
どのように大人は答えましたか?
- 大人になったときに困らないためにも勉強しなさい
- いい大学に入って、いい企業に勤め、安定した生活をするためにも勉強しなさい
- いつか役に立つから今のうちから勉強しておきなさい
- 大学で勉強するときに、今している勉強が役に立つから勉強しなさい
これらの答えはある人にとっては正しく、ある人にとっては間違っています。
ぼくが大学生の頃に勉強を教えていた高校生には
将来の夢がある人には、「夢を実現するためには、知識が必要。知識がなければ、やりたいことができなくて、夢を叶えるのは困難だよ」と言っていました。
将来の夢がない人には、「夢がみつかったときに、知識を身につけていないとその夢を叶えられる可能性が小さくなってしまうよ。
たとえば、あなたが消防士になりたいなら、最低でも高校は卒業しておかなくちゃいけないし、公務員試験で5教科から問題出題されるしね」と言っていました。
これも正しくもあり、正しくもないのかなと今となっては思います…
ぼくが勉強する理由はこれです
“今のぼく”が「どうして勉強するの?」と聞かれたらこう答えます。
自分が勉強すれば人の役に立てる”幅”と”深さ”が大きくなるから。
※あえて小難しい例えをつかっています。高校生にこういう仕事もあると知っていただきたいためです。ご了承ください。分からない場合は、参考となるページをご覧ください。
一つ目の”幅”は分野の広さの話。
たとえば、今の僕の仕事はWEBマーケティングといわれるもので、WEB上で「お客様を集めるためにはどうしたらいいか(集客)」「お客様が商品を購入してくれるためにはどうしたらいいか(購買)」「お客様がファンになってくれるにはどうしたらいいか(再訪問)」といったことを考えて、あらゆる方法をつかって仕事をしています。
(参考:Webマーケティングとは?今さら聞けない基礎知識を徹底解説)
人によってはお客様を集客するための知識しかない人もいれば、買ってもらうための知識しかない人もいます。こういった人よりも「お客様を集めることができる」「お客様に商品を買ってもらうことができる」知識がある人の方が役に立てる分野が広いと考えています。
これが人の役に立てる”幅”が大きいと定義しています。
二つ目の”深さ”は質の高さの話。
先ほどのたとえの続きで、WEB上で「お客様を集める」方法の一つにSEOといわれる手法があります。
あなたは、「SEOってこういうことだよ」とSEOとはどういったものかの知識がある人と「SEOってこういう風にするんだよ」とSEOの方法についての知識がある人のどちらにSEOを教わりたいと思いますか?
ぼくなら完全に後者ですね。ただSEOについて知っている人よりも、SEOの方法まで知っている人の方がより詳しく学べると考えるためです。
概要だけではなく、具体的な方法まで知っている方が役に立てる”質”が高いと考えています。
これが人の役に立てる”深さ”が大きいと定義しています。
(参考:SEO対策とは?誰でもできるSEOの基礎を学ぼう!)
ぼくはこの理由で高校、大学を卒業してからも勉強しています。
『学校って何だろう』に書かれている「勉強する理由」
『学校って何だろう』に書かれている「勉強する理由」の一部は以下の通りです。
- ともかく現実の社会では、どんな学校に入れるかによって、将来どんな仕事につけるのかが違ってくる。だから、将来の生活のことを考えて勉強しておいたほうがいい
- 大人になったときに困らないように、今のうちに勉強しておきなさい
- いつか役に立つこともあるのだから勉強しておいたほうがよい
- 高校や、その先の大学で勉強するときに、今勉強していることが役に立つのだから、勉強しておきなさい
- いい成績をとっておかないと、将来いい大学に入れないから今のうちによく勉強しておいたほうがよい
- 勉強すると人間として成長できるからだ
- 勉強を通じ、いろいろな知識や考える力をつけることで立派な人になれる
- 学校というところは、勉強するところなのだから、ともかく勉強しなければならない
(引用元:苅谷剛彦『学校って何だろう』P.20-22)
またTwitterで話題にもなった
子どもが「どうして勉強するの?」と訊いたときのお母さんの答えも紹介します。
勉強をなぜするのか親に訊いたときに、コップを指して「国語なら『透明なコップに入った濁ったお茶』、算数なら『200mlのコップに半分以下残っているお茶』、社会なら『中国産のコップに入った静岡産のお茶』と色々な視点が持てる。多様な視点や価値観は心を自由にする」というようなことを返された。
さて、あなたが勉強する理由は何ですか?
『学校って何だろう』には、この疑問について考えるための問いかけがいくつもありました。
校則はどうしてあるのか
中学生、高校生のとき、こんな校則に疑問をもったことがありませんか?
- どうして髪の毛を染めちゃだめなのか?
- 先生はアクセサリーつけているのに、どうして生徒はつけていると怒られるのか?
- どうして決められた服装やカバンしか使っちゃダメなのか?
- どうしてワックスをつけたらダメなの?
もちろん学校によって校則は異なります。
ただ、何かしらの校則があったかと思います。
ぼくは私服の高校だったので制服に対しては疑問をもちませんでしたが、頭髪指導はかなり厳しかったです。
こんなやり取りを頭髪指導のたびにやっていました。
あなたの学校ではどうでしたでしょうか?
そもそも校則とは何でしょうか?
校則とは,児童生徒が健全な学校生活を営み,より良く成長・発達していくため,各学校の責任と判断の下にそれぞれ定められる一定の決まりです。校則自体は教育的に意義のあるものですが,その内容・運用は,児童生徒の実態,保護者の考え方,地域の実情,時代の進展などを踏まえたものとなるよう,積極的に見直しを行うことが大切です。
(引用元:文部科学省『平成17年版 文部科学白書 第2部 第2章 第2節 5』)
どうやら、校則は生徒がより良く成長•発達するためにあるようです。
ただ、生徒保護者地域の実態に合わせて内容を変えていいのだと。
校則と法律の関係性って?
苅谷氏も言っていますが、ぼくも中学生のときに「髪の毛染めたり、ピアスあけても法律は犯してねぇだろ!」と先生に主張していました。
(はい、少しやんちゃしていました…反省)
学校でやってよいことと悪いことの区別をつけているのが校則です。
ところが、校則と法律を比べると、やってはいけないことの範囲が違うことに気がつくでしょう。制服の規定にしても、かばんなどの持ち物の指定にしても、髪形のルールにしても、どれをとっても法律のうえでは個人の自由にまかされていることがらです。
家にいるときに何を着ようと、家族にどこかに出かけるときにどんなかばんで行こうと、そうしたことはまったく法律違反にはなりません。
むしろ、男子の丸刈りのように、校則で強制することが、個人の人権(人間としての基本的な権利)をおかしているということで、法律違反ではないかと疑う意見さえあるほどです。(引用元:苅谷剛彦『学校って何だろう』P.68)
法律違反にはならないのにどうして校則を守らなければならないのでしょうか?
「別に守らなくてもいいんじゃないの?」とおもう方もいると思います。
ぼくも生徒会長(中学生)のとき、生徒からアンケートを集めたところ「私服がいい」という意見が全校生徒の7割ありました。そのため、制服から私服登校okにしようとしたのですが、「学校の伝統だから」と否決されました。
(理由が浅かったからとも思いますが…)
あなたは何のために校則があると思いますか?
学校で当たり前とされていることを疑っている人、
当たり前といわれていることについて考えたい人には『学校って何だろう』は良書ですね。
この本を読んだ方とお話したいので、
読んだ方はご連絡ください。
気軽にあーだ、こーだ話せると互いの考えが深まるのでぜひぜひよろしくお願いします!
『学校って何だろう』【感想・書評】まとめ
どうでしょうか?
今まで”当たり前”にしていた学校での行動を疑うようになったでしょうか?
きちんと理由を考えてみるとわからないものですよね。
ぼくも『学校って何だろう』を読みながら、
「どうして勉強するのだろう」
「どうして校則を守っていたんだろう」
と考え直せました。
こんなこと考えて何の意味があるの?と言いたくなる人もいるかと思います。
ですが、私は”当たり前”にしていること、常識を疑うことで自分の心がより自由になる、つまり生きやすくなると考えています。
ぜひ、『学校って何だろう』を読んで一緒に学校のこと、勉強のこと、校則のことをお話できればうれしいです。
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